さんきゅう・ろくはち

 わたくしのジオでの住所は3968番地だが、これには理由がある。
 学生時代に購入し、現在もなお我が家で現役を続けるパソコン、「X68000」へのさやかな感謝の意味が、わたくしの住む番地には込められている。

 わたくしがパソコンを初めて購入したのは1985年のことであった。
この時代、パソコンの主力はZ80という8ビットCPUを用いたものであり、これを使いこなすには、Basicやアセンブラなどの難しいプログラミング言語をマスターする必要があった。

 また、わたくしの購入した機械はソフトが非常に乏しいものであり、これでたとえばゲームをしようとするには、100行以上にもわたるプログラムを打ち込んだ上、打ち間違いを何時間かかけて修正しなければならなかった。
 しかも、こうして打ち込んだゲームは、30分も遊ぶと飽きてしまう代物なのだ。
 つまり、パソコンは使用するだけでも苦労する上、その使用自体において到底実用に耐える代物とはいえないように思われた。
 

 そして、この思いを打ち破ったのが、X68000というパソコンである。
 まず、このパソコンは、パソコンが、それ自体が使用に苦労するものではなく、使用者の利便のための「道具」となりうることを教えてくれた最初のパソコンである。

 このパソコンは、レポートの提出、授業のレジュメの作成、家計簿、MIDI音楽など、実に多彩に活躍してくれたし、マックがメインとなった現在も、まだ活躍してくれている。

 それに、なによりデザインが「格好いい」。
 たとえば、X68000と同時代に市場シェアを圧倒した某「国民機」は、デザインが明らかに「事務機器」であった。
 これは、確かにオフィスで使用する分には周囲と調和した良いデザインだと思う。実際、学校の図書館、研究室に置かれた「国民機」は、実に周囲と調和していた。
 しかし、逆に個人が趣味と実益をかねて使用する分にはあまりに面白みのないデザインのように、わたくしには思われたのである。

 これに対し、X68000のデザインは、「美しさ」を追求しているように思われる。
 うがった見方をすれば、機能よりもデザイン、ということもできるのだろうが、少なくとも、わたくしはこのデザインに惚れ込んだのである。
 

 (わたくしとパソコン)
   1985年 MZ-1500を購入。PCG、マシン語が 使いやすく気に入っていたが、 現在から見ると驚くほど使えない代物だった。 1996年頃、キーボードが故障して鬼籍に。
   1991年 中古でX68000を購入。 パソコンも進化したものだと驚く。
   1993年 友人からX1(メディアはカセットテープ) をもらう。活躍したが、1年で鬼籍に入り、 帰らぬ機械となった。
   1994年 X1が死に、そのディスプレーが余って 勿体なかったので、X1Turbo(2?)を購入。 目覚まし時計として、現役活躍中。
   1996年 なぜかNECのパソコンが欲しくなり、 知人にPC-8801mk2FRを譲ってもらう。 今だ生きていて、時々遊ぶ。
   1997年 PowerMacintosh 7600/132 を購入、現在に至る。 インターネットの世界を知る。
 
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